2025年12月2日、台湾の検察当局は東京エレクトロンの台湾子会社「Tokyo Electron Taiwan Ltd.」を、台湾国家安全法および営業秘密法違反の疑いで起訴した。対象となったのは、世界最大級の半導体受託製造企業である台湾積体電路製造(TSMC)の「2ナノメートル(2nm)」プロセスに関する技術情報の漏洩事件である。
検察は、2025年8月に同事件で起訴されていた元TSMC社員ら3名と東京エレクトロン台湾子会社の関係を整理したうえで、TSMCの「国家核心技術」に関わる営業秘密保護義務を十分に履行しなかったとして、法人としての刑事責任を問う判断に踏み切った。起訴内容には、1億2,000万台湾ドル(約3,800万米ドル)を上限とする罰金の適用可能性が含まれている。
一方、TSMCは2025年8月5日の時点で、不正な内部アクセスを自社の監視システムで検知し、関係社員の処分および司法機関への告発を行ったと発表している。TSMCは「包括的で強固な監視メカニズムにより早期に問題を把握した」と説明し、営業秘密違反に対するゼロトレランス(不寛容)方針をあらためて強調した。
東京エレクトロンは、台湾子会社の元従業員1名が当局発表の事案に関与していたことを認めるとともに、当該従業員を懲戒解雇し、司法当局の捜査に全面協力する姿勢を示した。また、社内調査の範囲では「関連する機密情報の外部流出は確認されていない」と説明している。
本稿では、事件の事実関係と台湾法制上の位置づけ、TSMC・東京エレクトロン双方のスタンス、そして今後どの半導体製造装置分野・サプライチェーン領域に影響が及ぶかを整理し、「2nm時代」の装置サプライヤに求められるガバナンスとリスク管理の前提条件を考える。
第1章 事件の経緯と台湾法制上の位置づけ

TSMCの内部監視で発覚した2nm技術情報の流出疑い
2025年8月5日、TSMCは声明を通じて、社内システムの監視により不審な活動を検知し、営業秘密漏洩の可能性があるとして法的措置と懲戒処分を行ったと公表した。社内でのアクセス履歴の分析を通じて異常なパターンが見つかり、内部調査に着手したと説明している。
台湾の検察当局はTSMCからの通報を受け、知的財産権事件を担当する部門を通じて捜査を開始した。元社員1名と現職社員2名の計3名が身柄拘束され、TSMCの「国家核心技術」に該当する営業秘密を不正に取得した疑いがあるとした。
捜査では、関係者がTSMC退職後に東京エレクトロンへ入社していたことや、在職中の同僚から情報提供を受けようとしていた事実が確認され、検察は2025年8月の段階で3名を営業秘密法および国家安全法違反の疑いで起訴した。
12月の法人起訴──「国家核心技術」流出をめぐる初の企業適用
続いて12月2日、台湾検察はTokyo Electron Taiwan Ltd.を国家安全法および営業秘密法違反で起訴した。2025年8月に起訴された3名が、TSMCの2nmプロセス技術に関する営業秘密を取得しようとし、その目的が東京エレクトロンによるTSMC向け2nm関連装置のサプライヤ競争で優位を得ることにあったと認定したうえで、同社が不正取得を防止するための体制整備を十分に行っていなかったと判断したのである。
検察は、東京エレクトロン台湾子会社が一般的なコンプライアンス規程を有していたことは認めつつも、「国家核心技術」に関わる営業秘密を扱う社員に対する監督・統制が不十分であり、不正行為の防止に必要な措置を尽くしていなかったと指摘した。
台湾の国家安全法に基づき企業が起訴されるのは、半導体分野の「国家核心技術」を巡る案件として初めてである。先端半導体のサプライヤー企業も、台湾国内では国家安全保障の枠組みの中で法的責任を問われる立場にあることが、制度面でも明確になった。
想定される刑事罰と個人への求刑
法人に対して適用される可能性がある罰則は、国家安全法に基づく罰金であり、上限は1億2,000万台湾ドルとされる。これは約3,800万米ドルに相当する金額である。金額面では、東京エレクトロン全体の財務規模からみて経営を左右する水準ではないが、「国家核心技術」に関する案件で法人責任を問われたという事実が、サプライチェーン上での信頼性に与える影響は小さくない。
一方、個人として起訴された元TSMC社員ら3名に対しては、台湾検察が最長14年の懲役を含む重い刑罰を求刑していると報じられている。改正国家安全法では、14nm以下の先端プロセスに関する機密情報の不正取得は国家の経済安全保障に直結する行為と位置づけられており、営業秘密法と合わせた厳しい運用が行われている。
第2章 TSMCと東京エレクトロンそれぞれの主張

TSMC:内部監視と「ゼロトレランス」方針
TSMCは、問題の公表にあたり、自社が構築してきた監視体制とゼロトレランス方針を明確に打ち出した。不審な活動を検知した後は、社内調査を行い、関係者に対して懲戒処分を実施し、併せて台湾の司法当局に告発するという流れをとったとしている。
同社は、NVIDIA、Apple、Qualcommなどの顧客向けに最先端プロセスを提供しており、技術情報の保護は企業価値の中核に位置づけられている。今回の対応は、サプライヤやパートナー企業に対しても、同等レベルの知的財産管理とコンプライアンス体制を求めるメッセージと受け止められる。
東京エレクトロン:個人の不正と組織的関与の線引き
これに対し東京エレクトロンは、2025年8月7日のリリースで、台湾子会社の元従業員1名が当該事案に関与していたことを認め、懲戒解雇の措置を取ったことを公表した。同時に、台湾司法当局の捜査に全面的に協力していること、そして社内調査の範囲では関連する機密情報の外部流出は確認されていないことを明らかにした。
その後、8月28日には、東京エレクトロンが「組織としての関与は確認されていない」と説明したことが報じられている。起訴された元TSMC社員は、東京エレクトロン入社後も旧知のTSMC社員から情報提供を受けようとしていたとされるが、会社として指示した事実や、社外への機密情報流出を示す証拠は見つかっていないというのが同社の説明である。
東京エレクトロンは従来から法令遵守と倫理基準の徹底を経営上の重要課題に掲げてきたが、台湾当局は「内部規程を持っていたかどうか」だけでなく、それが実際に機能していたかという防止義務の履行度合いに踏み込んでいる。企業としてどこまで情報漏洩防止の義務を負うのか、一般的なコンプライアンス体制で足りるのかという点が、今後の裁判の焦点となる。
市場とサプライチェーンに与える影響
今回の案件は、顧客であるTSMCと主要装置サプライヤである東京エレクトロンの関係に、国家安全保障の観点から司法当局が直接介入した事例である。ロイターは、この法人起訴を台湾国家安全法に基づく初の企業立件と位置づけ、「国家核心技術」保護を巡る法執行の厳格化を象徴する動きとして報じている。
この結果、TSMCと取引する装置・材料・EDAベンダなどの企業は、技術力やコスト競争力だけでなく、知的財産権保護とコンプライアンス体制を含めた総合的な信頼性を問われる状況に入っている。
第3章 半導体装置・サプライチェーン分野のどこに多大な影響を及ぼすか

今回のケースは、①TSMCと2nm共同開発を行う前工程装置メーカー、②台湾に開発・サービス拠点を持つ装置・材料・EDAベンダー全般、③日本国内で進む2nm級プロジェクトに関与する企業――の3つの層に特に大きな影響を与える。
2nmロジック向け前工程装置
複数の報道によれば、今回の事件で対象となった営業秘密はTSMCの最先端2nmプロセスに関する情報である。
2nm世代のロジック半導体では、トランジスタ構造としてゲートオールアラウンド(GAA)が採用され、多層配線を支える複雑なパターニングや極端紫外線(EUV)露光と高アスペクト比エッチングの組み合わせが必要になる。こうした条件のもとでは、エッチング装置や成膜装置、パターニング関連装置など前工程装置のプロセス条件が極めて厳しくなり、装置メーカーとファウンドリの共同開発が不可欠になる。
台湾検察は、起訴された元TSMC社員らが東京エレクトロンに有利な形で2nmプロセスに関する営業秘密を取得しようとしたと説明している。2nmロジック向け前工程装置は、営業秘密の利用可能性という観点から見て、今回の事件の中心に位置する分野である。
こうした背景から、2nm世代以降のロジック向け前工程装置を供給する企業は、顧客別プロジェクトごとに情報を遮断する「バーチャルウォール」の設計や、アクセス権限とログ管理を組み合わせた情報管理体制を整えることが、ビジネス継続の前提条件になっていく。
台湾に拠点を持つ装置・材料・EDAベンダ全般
今回の法人起訴は東京エレクトロンに対する個別事例であると同時に、台湾の国家安全法と営業秘密法が「国家核心技術」を巡る案件でどのように適用されるかを示すモデルケースでもある。
TSMCやその他台湾ファウンドリと取引し、台湾国内に開発・サービス拠点を持つ装置メーカー、材料メーカー、EDAベンダは、同様の法的リスクを意識せざるを得ない。
これらの企業では、採用段階での前職との関係確認、顧客データの取り扱いプロセスの明文化、台湾法制に沿った内部監査や教育体制の整備といった取り組みが不可欠となる。
日本国内の先端プロセスプロジェクトへの示唆
日本政府は、ラピダスを中心とする2nm世代ロジックの国産化プロジェクトを支援しており、その周辺では東京エレクトロンを含む日本の装置・材料メーカーが協業している。
TSMCの2nm技術が台湾で「国家核心技術」として国家安全法の対象になっていることは、先端プロセスが単なる企業競争の対象ではなく、各国の経済安全保障政策と密接に結びついていることを示している。
内部監査・セキュリティ関連投資の前提条件化
TSMCは今回の件で、自社の監視体制により問題を早期に検知できた点を強調した。これは、自社の信頼性を示すだけでなく、サプライヤ企業にも同水準の監視・統制を求めるシグナルとして機能している。
サプライヤ側にとっても、アクセスログ監視や内部不正検知、重要情報へのアクセス権限の最小化は、もはや任意のIT投資ではなく、先端ノードを扱う企業として当然求められる基盤となる。
第4章 人材戦略とガバナンスの再設計

「元TSMC人材」の受け入れに伴うリスク管理
先端プロセスの実務経験を持つTSMC出身者や台湾の半導体技術者は、世界中の半導体企業にとって貴重な人材である。一方で今回の事件は、競合や顧客企業からの転職者をどのように受け入れ、どの業務に従事させ、どの情報へのアクセスを許可するかが、企業の法的リスクを大きく左右することを示した。
今後、装置・材料・設計関連企業は、採用時点で前職の秘密保持義務や競業避止契約の内容を確認し、業務アサインの段階で元雇用主の利益と直接競合しない配置を検討する必要がある。
経営レベルの「国家安全保障リスク」マネジメント
国家安全法に基づく法人起訴は、現場レベルのコンプライアンスにとどまらず、取締役会が担うガバナンスの領域に関わるテーマである。
東京エレクトロンの事案は、サプライヤが技術力と価格だけで評価される時代から、技術力に加えて国家安全保障や知的財産保護の観点からも信頼できる存在であることが求められる時代に移行しつつあることを示している。
最後に:2nm時代の装置ビジネスは「IPガバナンス」を前提とした競争へ

TSMCの2nm技術を巡る営業秘密漏洩事件と、東京エレクトロン台湾子会社の法人起訴は、先端半導体サプライチェーンにおける国家安全保障の重みを具体的な形で示した。
2nm世代以降の装置・材料ビジネスでは、IPガバナンスと国家安全保障リスクマネジメントを経営課題として扱えるかどうかが、サプライヤとしての信頼性を左右する。
装置や材料の性能向上と同じレベルで、自社の体制を点検し、必要な投資とルール整備を進められるかどうかが、「2nm時代の競争力」を分ける分水嶺になる。
*この記事は以下のサイトを参考に執筆しました。
参考リンク
- Taiwan charges Tokyo Electron’s Taiwan unit in TSMC trade secrets case
- TSMC cracks down on potential trade secret breach, initiates legal action
- Tokyo Electron says it has no organisational role in TSMC trade secrets case
- 当社に関する報道について(東京エレクトロン公式リリース)
- Taiwan detains three over TSMC ‘trade secret leaks’(Channel News Asia)
- Taiwan Arrests Three Over Suspected Theft of TSMC’s Trade Secrets(The Wall Street Journal)