半導体工場で使う窒素、酸素、アルゴン、水素、ヘリウム、各種材料ガスは、これまで「必要な原材料」や「ユーティリティ」の一部として語られることが多かった。だが、2025年春以降の主要各社の開示を追うと、競争の軸はガスそのものの販売から、オンサイト設備、長期契約、物流、保全、現場運用まで束ねて「工場の安定稼働を支える」ことへ移っている。装置が先端でも、必要なガスを必要な純度と量で安定供給できなければ量産は成立しない。特殊ガスは、材料であると同時に、工場稼働の前提条件として再評価される局面に入った。
英国の産業用ガス及びエンジニアリング会社である、Linde(リンデ)は2025年4月にSamsung Electronics(サムスン電子)の平沢拠点向け供給拡張を公表し、フランスの産業ガスメーカー、Air Liquide(エア・リキード)も同年6月から9月にかけてシンガポールと欧州で大型投資を伴う長期契約案件を連続して打ち出した。日本酸素ホールディングスグループの大陽日酸も、5月の物流強化、同月の研究開発強化、11月の現場自動化提案を通じて、特殊ガス事業の重心を単品供給から安定稼働支援へ広げている。いま起きている変化は、特殊ガスを「買う材料」ではなく、「安定供給と操業継続を支える供給インフラ」として見直す動きである。
本稿は、この特殊ガスをめぐる動きや変化を考察する。
契約の対象がガスの納入そのものではなく、工場単位の供給能力へ

この変化を端的に示したのが、リンデとエア・リキードの一連の発表である。リンデは2025年4月29日、サムスン電子の韓国・平沢半導体拠点向けに、超高純度の大気ガス、プロセスガス、特殊ガスの供給を拡張すると公表した。新契約のもとで同社は、窒素、酸素、アルゴンを供給する8基目のオンサイト空気分離装置を建設・保有・運営し、既存のオンサイト水素設備からも供給するとした。供給開始は2026年半ばの予定である。
エア・リキードも同じ方向を鮮明にしている。2025年6月2日には、シンガポールのVSMC向けに約7,000万ユーロを投じ、新たな産業ガス製造設備を建設・保有・運営する長期契約を発表した。続く7月24日には、ドイツ・ドレスデンのSilicon Saxony(シリコン・ザクソニー)で半導体顧客向けに2億5,000万ユーロ超を投じ、3基の空気分離装置、2基の水素製造装置、関連インフラを建設・保有・運営すると公表した。さらに9月30日には、シンガポールの主要半導体メーカー向けに総額1億3,000万ユーロの投資を伴う2件の長期契約を打ち出し、最新鋭のガス設備2基を建設・保有・運営するとした。
この2社に共通するのは、契約の対象がガスの納入そのものではなく、工場単位の供給能力へ移っている点である。誰が設備を持つのか、誰が運転するのか、供給責任を誰が負うのかまで含めて契約の中身になっている。半導体工場では、ガスの純度、流量、連続性、安全性のいずれが欠けても生産に直結する。したがって、ガス会社は材料供給者というより、工場の安定稼働を支えるインフラ運営の担い手に近づいている。
安定稼働支援の中身は、ガスの販売より広い

リンデとエア・リキードの動きが示すのは、特殊ガス事業の価値が「分子を売ること」から「安定供給体制を設計・運営すること」へ広がっているという事実である。エア・リキードのドレスデン案件は、顧客サイトへの直接供給体制を整えることで、高純度ガスを大規模かつ安定的に供給する構図を明確にした。オンサイト設備を組み込んだ供給モデルは、輸送依存を相対的に下げ、供給の変動要因を減らす意味を持つ。半導体工場が必要とするのは、安いガスではなく、変動の少ない供給体制である。
リンデの平沢案件も同じ文脈で読める。超高純度ガスの安定供給だけでなく、オンサイト設備の建設・保有・運営を含めて契約化することで、顧客工場の安定操業を支える仕組みを提供している。ここでは、特殊ガスの競争力は単価やスペックの比較だけでは測れない。誰が設備を保有するのか、供給系に冗長性はあるのか、物流が細ったときの代替手段はあるのか、保全と安全運用をどう回すのか。こうした項目まで含めて、特殊ガスは材料費の比較対象ではなく、工場の立ち上げ確度や操業継続性を左右するインフラとして評価されるようになっている。
大陽日酸は物流と現場運用の両面で安定稼働を支える

大陽日酸は2025年5月27日、日本通運と共同で、同年6月から神奈川県川崎市と宮城県多賀城市の間で特殊ガス製品の鉄道輸送を開始すると発表した。発表では、近年の半導体工場の新設・増設で特殊ガス需要の拡大が見込まれ、輸送能力の増強が課題だったと明記している。従来の輸送網に鉄道を加えることで輸送能力の向上を図るとした点は、供給網を複線化し、納入の安定性を高める動きといえる。
さらに同社は2025年5月30日、imecが進める半導体業界全体の環境負荷低減に関する研究プログラムに参画し、持続可能な半導体製造に向けたガス技術開発を加速すると発表した。大陽日酸と欧州事業会社Nippon Gasesのガスハンドリング・ガス化学の知見を生かして共同開発を進めるとしており、特殊ガスを単なる供給品ではなく、工程効率や環境性能まで左右する技術要素として捉えていることが分かる。
その上で、2025年11月28日には「SEMICON Japan 2025」への出展内容として、IGSSを紹介した。IGSSは、重労働、危険作業、人手不足といったガス供給現場の課題を、ガスハンドリングのノウハウとデジタル技術で解決するシステムのこと。構成機能の一つである「Cdrive」は、最大100kgのガス容器を保管庫からガス消費設備まで搬送し、シリンダーキャビネット内で容器の出し入れまで行う自動搬送ロボットとして説明された。同社はこれを、半導体製造工場の生産性向上に向けたソリューションとして提案している。
ここで見えてくるのは、大陽日酸を含む日本酸素HDグループが工場の外側の物流から、内側の搬送、交換、監視、省人化までを一体で支えようとしている点である。欧米大手がオンサイト大型設備と長期契約を前面に出すのに対し、日本勢は現場に深く入り込むことで「工場の安定運用を支える価値」を打ち出している。半導体工場における特殊ガス事業の競争軸が、分子の供給だけでなく、搬送、交換、保全、安全、省人化まで広がっていることを示す事例といえる。
材料販売から安定稼働支援へと重心を広げつつある特殊ガス事業

この1年の発表を並べてみると、特殊ガス事業の重心が「材料販売」から「安定稼働支援」へ広がっていることは明瞭である。リンデは2025年4月のサムスン電子の平沢向け案件で、設備を建て、保有し、運営するモデルを示した。エア・リキードは6月から9月にかけて、シンガポールと欧州で大型投資を連続して公表し、半導体向けガス事業を長期契約型のインフラ事業へ押し進めた。大陽日酸は5月の物流強化と研究開発強化、11月の現場自動化提案を通じて、供給そのものより一段深い運用支援へ踏み込んだ。
装置が最先端のものでも、ガス供給が揺らげば当然、量産は止まる。逆にいえば、ガス供給を安定させる企業は、材料会社であると同時に、工場の稼働率を支えるサービス事業者でもあるのである。今後、半導体工場の競争力を評価する際には、どの装置を納入したか、だけではなく誰がどの形でガス供給を支えるのかを考慮する必要がある。特殊ガスは、材料販売から安定稼働支援へと重心を広げつつあるのだ。
*この記事は以下のサイトを参考に執筆しました。
参考リンク
- Linde to Expand Supply of Industrial Gases to Samsung in South Korea
- Air Liquide signs a long-term gas supply agreement with VSMC to support Singapore’s semiconductor industry
- Air Liquide to invest more than 250 million euros to support the semiconductor industry in Europe
- Air Liquide reinforces its leadership in Electronics with a total investment of 130 million euros
- 日本通運と共同で特殊ガス製品輸送のモーダルシフトを開始
- 持続可能な半導体製造に向けた技術開発を加速
- SEMICON Japan 2025 出展情報
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