“新設ファブ競争の盲点――特殊ガス・薬液の供給網が量産力を決める

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半導体の新設ファブを語る際、注目は露光、成膜、エッチングといった前工程装置に集まりやすい。だが、2025年から2026年初にかけての企業発表を追うと、量産立ち上げの成否を左右する論点が、広がっていることが見えてくる。つまり、特殊ガス、薬液、供給設備、分配システム、安全設計、保全体制までを含めた供給網の整備が、工場の立ち上げ力と安定運転を支える要素として存在感を増しているのである。

半導体工場で使用される薬液や特殊ガスは、単に調達すれば済むという資材ではない。高純度を保ったまま受け入れ、保管し、必要なタイミングで安定供給し、異常時には安全に遮断できる体制が求められるからだ。このためここでは、材料メーカーだけでなく、供給設備メーカー、ガスデリバリー事業者、工場建設、EHS、保全部門までをまたぐ運用能力が問われるようになる。材料の性能に加え、「どう止めずに届けるか」が量産条件の一つになりつつあるのだ。

この変化を端的に示したのが、2025年9月2日に公表されたドイツの医薬品・化学品メーカー、Merck(メルク)とインドのTata Electronics(タタ・エレクトロニクス)の協業である。両社は、半導体材料、sub-fab infrastructure(サブファブのインフラ設備群)、specialty chemical and gas distribution(特殊化学品・ガス販売)に加え、高純度電子材料、先進ガス・ケミカルデリバリーシステム、ターンキーのファブインフラサービス、AIを活用したMaterial Intelligence(半導体材料やプロセスを探索・開発する手法)、現地倉庫、原材料サプライチェーン整備、人材育成までを含む枠組みを打ち出した。材料供給そのものより、量産現場で使える状態に保つ運用インフラまでを協業範囲に含めた点が特徴だ。

本稿では、この半導体の特殊ガス・薬液分野に訪れている変化が、今後の新設ファブ競争にどのような影響をもたらすかを考察する。

メルクとタタが示した「供給インフラ込み」の協業

メルクとタタ・エレクトロニクスの発表で注目すべきは、対象が単なる材料納入ではなく、工場立ち上げを支える供給インフラ全体に広がっている点である。メルクは、タタ・エレクトロニクスのDholera新工場向けに、高純度電子材料、先進ガス・ケミカルデリバリーシステム、ターンキーのファブインフラサービスを提供する方針を示した。加えて、メルクと米Palantir Technologies(パランティア)が開発した、AIとビッグデータを活用する半導体サプライチェーン向けのデータ分析プラットフォームである「Athinia(アシーニア)」を含むデータ活用基盤、安全と製造運営のベストプラクティス、現地倉庫、原材料供給網の整備、人材育成や業界標準づくりまで協業の射程に入れている。

このことから、材料を量産の現場で使える状態に保ち、供給を滞らせず、品質と安全を両立しながら運用できるかという方向性がみえてくる。薬液や特殊ガスは、工場の門前まで届けば役割を終えるものではない。受け入れから保管、供給、切り替え、残量管理、異常時対応まで含めて、初めて量産インフラとして機能する。メルクとタタの協業は、その現実を公に示した案件と位置づけられる。

この意味で、供給網の価値は販売量だけでは測りにくい。評価の軸になるのは、工場の稼働率を落とさず、品質変動を抑え、立ち上げ初期の不安定さをどこまで吸収できるかである。メルクとタタが、材料供給に加えてファブインフラサービスや安全・製造ノウハウを前面に出したことは、新設ファブの競争力が、材料メーカー単独の力ではなく、供給システム全体の完成度によって左右される局面に入っていることを示している。

エア・リキードとリンデにみるオンサイト供給の競争

この流れは、産業ガス大手の投資でも鮮明である。フランスの産業ガスメーカー、Air Liquide(エア・リキード)は2025年6月2日、TSMC傘下の台湾のファウンドリ企業、Vanguard International Semiconductor(世界先進積体電路)とオランダのNXP Semiconductors(NXPセミコンダクターズ)の合弁会社VSMC向けに、シンガポールで約7,000万ユーロを投じ、新たな産業ガス製造設備を建設・所有・運営し、超高純度の窒素、酸素、アルゴンを長期契約のもとで供給すると発表した。

さらに同社は2025年7月に米国で5,000万ドル超、同月に欧州で2億5,000万ユーロ超の半導体向け投資を公表しており、主要半導体ハブで供給基盤を広げている。

こうした投資の本質は、ガス販売量の拡大だけではない。顧客工場に隣接、あるいは敷地内で必要なガスを高純度かつ連続的に供給する能力を、設備と契約の両面で確保することにある。オンサイト供給は、輸送の不確実性を抑え、供給の安定性を高めるだけでなく、ファブの拡張や立ち上げスケジュールと整合を取りやすい。

量産立ち上げの現場では、供給の揺らぎが装置停止や条件ずれ、歩留まり低下に直結しやすいため、この冗長性の価値は小さくない。

産業ガス・エンジニアリング企業グループ、Linde(リンデ)も2025年4月29日、Samsung Electronics(サムスン電子)の韓国・平沢コンプレックス向けに、超高純度の大気ガス、プロセスガス、特殊ガスの供給を拡大すると発表した。新契約のもとで、同社は8基目のオンサイト空気分離装置を建設・所有・運営し、窒素、酸素、アルゴンを供給する。

あわせて、既存のオンサイト水素製造設備からの供給も継続する方針を示し、供給開始時期は2026年半ばを見込むとしている。

ここから見えるのは、先端ファブの競争力が、装置の処理能力やレシピの巧拙だけで決まるわけではないという現実である。どの供給事業者がどこまで現場に深く入り込み、長期にわたり品質と安定供給を担保できるかが、量産立ち上げの速度と継続運転の安定性に直結する構図が強まっている。

日本でも広がる「材料販売」から「運用インフラ」への拡張

日本でも、薬液・ガス供給を巡る競争軸は同じ方向へ動いている。エア・リキードは2025年2月4日、香川県直島で新たな大型空気分離装置への投資を決定したと発表した。新プラントは1日あたり最大1,400トンの製造能力を持ち、酸素と窒素に加え、アルゴンとネオンも生産する。

とくにネオンについては、半導体製造向けの国内供給基盤を強化する案件として位置づけられ、経済産業省の助成対象にもなっている。

この動きが示すのは、供給網の強さが国・地域単位の競争力にも直結するということである。ファブが増えても、必要なレアガスや高純度ガスを安定して確保できなければ、立ち上げの遅れや稼働率の不安定化につながる。設備投資額が大きい先端ファブほど、その影響は重い。

供給網の地域分散、在庫戦略、代替調達先の確保、国内生産能力の強化が、購買部門だけでなく工場戦略全体の論点になっている。

大陽日酸の取り組みも注目される。同社は2025年11月28日、「SEMICON Japan 2025」で、半導体製造工場の生産性向上に向けたソリューションとして、同社開発のIoT、AI、ロボット技術を用いて高圧ガスの管理・搬送・監視を自動化する次世代供給システム、「Intelligent Gas Supplying System(IGSS)」を発表した。

IGSSは、重労働、危険作業、人手不足といったガス供給現場の課題に対し、ガスハンドリングのノウハウとデジタル技術で対応するシステムで、その一部機能である「Cdrive」は、最大100kgのガス容器を搬送し、シリンダーキャビネット内で容器の出し入れを行う自動搬送ロボットである。

さらに同社は2025年12月17日、つくば開発センター内に「エレクトロニクス先端材料開発棟」を建設すると発表した。新棟では、先端プロセス向けの新しい材料とそのハンドリング機器を開発し、顧客課題へのソリューション提供を強化するとしている。

ここで重要なのは、日本企業の競争余地が、材料単体のスペック競争だけにあるわけではない点だ。供給設備、ハンドリング、安全設計、自動化、省人化、保守性といった周辺領域でも、付加価値を築ける余地が残されている。

新設ファブ競争の評価軸は「建屋」から「止めない仕組み」へ

量産工場の立ち上げで問われるのは、建屋の完成や装置搬入の速度だけではない。薬液やガスを高純度のまま受け入れ、分配し、安定運用し、異常時には安全に制御できる仕組みが整って初めて、工場は量産設備として機能する。

このため、供給網を担う企業の役割は、従来の「材料を納める会社」から、「工場の稼働率を支える会社」へ広がっている。そこで評価されるのは、単価だけではない。純度保証、安定供給、保全性、冗長設計、現地在庫、安全対応、人材教育まで含めた総合力が問われる。

2025年に相次いだメルク、エア・リキード、リンデ、大陽日酸の発表をつなげてみると、新設ファブ競争の重心が、建物や主工程装置だけでなく、sub-fabや薬液・ガス供給網の設計と運用にも広がっていることが分かる。

供給設計競争としての性格を強める特殊ガス、薬液

半導体工場の競争力は、装置投資額の大きさだけでは測れなくなった。薬液と特殊ガスを、必要な純度で、必要な量だけ、止めずに供給できるか。その体制を設計し、維持し、異常時にも立て直せるかどうかが、新設ファブの立ち上げ力と継続運転の安定性を左右する。

メルク、エア・リキード、リンデ、大陽日酸の動きを並べると、各社が競っているのは材料販売の数量だけではなく、供給設備、現地運用、長期契約、安全設計、データ管理を束ねた供給網の完成度であることが見えてくる。新設ファブ競争は、表の装置競争に加え、裏の供給設計競争としての性格を強めているのである。

今後、特殊ガス、薬液、ケミカルデリバリー、供給設備、EHS、購買、工場建設に関わる現場で問われるのは、単なるコスト競争力ではない。止めない、安全を崩さない、品質を揺らさない。その条件を現実の工場運営として成立させる力が、半導体の量産競争を支える基盤になっていく。

*この記事は以下のサイトを参考に執筆しました。

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