#01【竹内健】入社直後に消された電気。僕のキャリアは「逆風」からのスタートだった

SEMICON IS MY LIFE
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Slide for a talk: left shows a man speaking; right reads 'Silicon is my life' with Japanese subtitle, '竹内 健 氏 東京大学大学院工学系研究科 教授', and '#01'.

世界を動かす半導体産業。その最前線を牽引してきたトップランナーたちは、どんな選択と決断を重ねてきたのか──。知られざる半生に迫る連載企画、「Silicon is my life」。

今回話を聞いたのは、東芝でNANDフラッシュメモリの研究開発に従事し、世界初の64Mビットから16Gビットに至るNANDフラッシュメモリの商品化に成功した竹内健氏だ。スタンフォード大学でMBAを取得後、東京大学准教授、中央大学教授を経て、現在は東京大学大学院工学系研究科教授として「Computation in Memory(CiM)」の研究を牽引している。 産業界の最前線で半導体の革新に挑んだのち、アカデミアへ転身。常に自分が変化できる場所を求め、技術とビジネス、そしてアカデミアの世界を越境してきた竹内氏のキャリアヒストリーに迫る。

(プロフィール)
東京大学大学院工学系研究科 教授
竹内健
1993年、東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻修士課程修了後、株式会社東芝入社。NANDフラッシュメモリの研究開発に従事し、世界初の64Mビット〜16Gビットに至るNANDフラッシュメモリの商品化に成功。マルチレベルセル技術の基礎を築き、現在もすべてのNANDフラッシュ製品に採用されている。2003年スタンフォード大学経営大学院修了(MBA)。2007年東京大学大学院工学系研究科准教授、中央大学理工学部教授を経て、現職。脳型データセントリックコンピューティングおよびComputation in Memory(CiM)の研究を牽引する。著書に『世界で勝負する仕事術』(幻冬舎新書)など。

◾️世界の「理屈」に魅せられていた学生時代

はじめまして。東京大学で、「Computation in Memory (CiM)」という、メモリ(記憶)自体に計算能力を持たせた少し変わった半導体の研究をしている、竹内健です。

30年ほど前、僕は東芝に入社し、皆さんのスマホやパソコンにも入っている「NANDフラッシュメモリ」の研究開発に携わっていました。

その後、スタンフォード大学で経営学(MBA)を学び、現在は大学で研究と教育を行っています。ざっくり言うと、技術、ビジネス、アカデミアを渡り歩いてきたような経歴です。

現在は大学で半導体の研究にどっぷり浸かっていますが、振り返ってみると、子どもの頃からものづくりに熱中したり、電子工作に夢中になったりした経験があったわけではありませんでした。

Green chalkboard filled with white chalk equations and symbols from a math lesson.

物理に惹かれた原点の一つの例としては、高校生の頃に授業で解いた「人工衛星の軌道計算」です。

外に飛ばす遠心力と、引き寄せ合う重力。その釣り合う位置が、簡単な手計算だけでパッと導き出せてしまう。「はるか宇宙にある衛星の軌道が、机の上の数式でこんな風に分かるのか」と、世界の動きの裏側を理解できることに魅力を感じたのです。

大学も物理工学科に進み、ひたすら物理を学びました。普段はテニスサークルに所属するごく普通の学生だったのですが、それでも合間にファインマンの『ファインマン物理学』※1 のような本を読んでは、日常の感覚とはかけ離れた「量子力学」の奥深い世界に魅せられていました。

※1 リチャード・ファインマン(1918〜1988):アメリカの理論物理学者。量子電磁力学の研究で1965年にノーベル物理学賞を受賞。『ファインマン物理学』のほか、自伝的エッセイ『ご冗談でしょう、ファインマンさん』が一般読者にも広く読まれている。

自分は何かを形にするよりも、世界の真理を極める道で生きていきたい。そう漠然と考えていた僕は、大学に入った当初から「修士くらいでは極まらない。博士課程まで進んでアカデミア(研究者)の道に行こう」と、なんとなく思っていました。

ところが、いざ修士課程に進んだ僕は、いきなり大きな壁にぶつかることになります。

◾️身近にいた「本物の天才」たち。純粋な知力勝負に感じた限界

というのも、当時の研究室には、とんでもない「天才」と呼ぶべき先輩たちが何人もいたのです。

たとえば、後に僕を就職活動の会社見学に誘ってくれた先輩は、現在、慶應義塾大学の教授になっています。一つ上の先輩は現在、東大の物理の教授。そして三つ上の先輩は、ノーベル賞候補とも言われる「光格子時計」※2 を開発した香取秀俊先生 ※3 です。今振り返っても、本当にそうそうたるメンバーでした。

※2 光格子時計:レーザー光で原子を空間に整列させて、その振動数を計測する超精密な原子時計。100億年に1秒もずれない精度を実現する。次世代の「秒の定義」を担う候補として国際的に注目されている。
※3 香取秀俊:東京大学大学院工学系研究科教授。光格子時計を考案・実証した世界的研究者。日本国際賞、藤原賞ほか受賞多数。ノーベル物理学賞の有力候補として名前が挙がる。

圧倒的な才能を持つ彼らを目の当たりにして、僕はだんだんと自信をなくしていきました。

物理学を極めてアカデミアの道を歩むということは、高度な数式や論理を突き詰め、純粋な思考力や深い洞察力で勝負していくということです。彼らと日々接するうちに、「こういう純粋な知力が問われる世界では、自分は到底太刀打ちできない」と考えるようになりました。

今思えば、たまたま周りがすごすぎただけで、そこまで悲観する必要はなかったのかもしれません。でも当時の僕は、「本当にこの道で生きていけるのか」と本気で思い詰めていたんです。そんな将来への不安を抱えていた僕に、大きな転機となる出会いが訪れます。

◾️「会社見学」が変えた進路と、舛岡富士雄先生との出会い

僕はもともと博士課程に進むつもりでしたから、就職活動は一切やっていませんでした。そんなある日、就活中の先輩(先ほどお話しした、現在慶應の教授になっている先輩です)に「人数合わせの“サクラ”でもよいから一緒に行こう」と誘われ、東芝の研究室訪問に同行することになったのです。

当時、僕自身には就職する気などまったくありませんでした。ところが、その見学コースの中に、たまたまフラッシュメモリの発明者である舛岡富士雄先生 ※4 の部署が含まれていたんです。

当時の僕は半導体の基礎知識がなく、技術的な凄さを完全に理解できていたわけではありません。それでも、舛岡先生の熱量に触れ、「この研究は間違いなく世界を変えるんじゃないか」とその計り知れない可能性を感じたのです。

※4 舛岡富士雄:1980年代に東芝でNAND型フラッシュメモリを世界で初めて発明した研究者。後に東北大学教授。NANDフラッシュは現在、スマートフォンやSSDなど、世界中のあらゆるデジタル機器の記憶装置として使われている。

そこで舛岡先生に、僕が博士課程への進学を考えていると正直に伝えると、先生は「うちにいたら博士を取らせてやるぞ。論文を書いてみろ」と言ってくれました。実際に、企業で働きながら博士号を取得できました。

さらに話を聞くと、フラッシュメモリのデータ書き込みには「量子トンネル効果」※5 という量子力学の原理が応用されていました。「自分が学んできた物理が、社会を大きく変える実用的な技術に直結するのか」と、なんだか視界がパッと開けた気がしたんです。

※5 量子トンネル効果:電子などの微小な粒子が、通常なら越えられない壁を確率的にすり抜けてしまう量子力学的な現象。フラッシュメモリでは、この仕組みを利用してデータの書き込みを行っている。

 給料をもらいながら、世界を変えるような面白い仕事ができ、博士号も取れる。何より、この魅力的な人たちと一緒に働きたい。

そう確信した僕は、東芝に入社することにしました。正確にいうと、東芝という会社ではなく「舛岡先生の部署」に入社したという感覚のほうが近いかもしれません。

当時の東芝には、人事部ではなく研究所の部長クラスが実質的に配属先を決めることができる制度がありました。もし「入社後にどこへ配属されるか分からない」と言われていたら、僕は入社していなかったはずです。「舛岡先生の部署でフラッシュメモリをやる」とあらかじめ約束されていたことが、最大の決め手になりました。

◾️「電子立国日本」の熱狂と、入社直後に消えた電気

入社する前の僕の頭の中は、まさにバラ色でした。

当時はテレビが最大の情報源で、少し前にNHKの『電子立国日本の自叙伝』 ※7 という番組で大特集が組まれていたんです。そこで描かれていたのは、世界の半導体市場でトップ3を日本企業(NEC、日立、東芝)が独占する姿でした。「インテルが潰れそうだ」「サムスンはまだずっと下だ」と、まさに日本が世界を牛耳る熱気に満ちていました。

※7『電子立国日本の自叙伝』:1991年にNHKで放送された全6回の大型ドキュメンタリー。半導体産業を舞台にした日本企業の躍進を、開発者への徹底取材で描いた。当時の日本半導体産業の世界的な勢いを象徴する作品として、業界に大きな影響を与えた。

この業界なら間違いない。そう確信して1993年に東芝に入社しました。

ところが、いざ入ってみると、そこは日本半導体産業が転落していく入り口だったのです。外から見ていた華やかな景色とまるで違う。それが、入社直後の率直な感想でした。

主力だったDRAMはサムスンなどの猛追を受け、一気にシェアを落としていく。就活生は絶頂期の「朝日」だと思って入社しても、実はもう斜陽の「夕日」に向かっているとよく言われますが、僕も例外ではありませんでした。

当時の現場の空気で鮮明に覚えているのが、業績悪化によるコストカットです。昼休みになると、事業所の電気がバチッと消されるんです。事務の方々にできるコスト削減といえば、もうそれくらいしかなかったのでしょう。

「世界を変えるつもりで入ったのに、いきなりこれかよ」と苦笑いするしかありませんでした。僕が配属されたフラッシュメモリ部門も、いつ潰されてもおかしくない新規事業としてギリギリの闘いをしていました。

思い描いていた「バラ色の世界」はどこへやら。世界を変えるつもりで飛び込んだ僕を待っていたのは、生き残りをかけたギリギリの闘いだったのです。

>>第2回:来る日も来る日も「ボタンを押す係」。泥臭い下積みから生まれた世界初のフラッシュメモリ

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取材:榎並⼤輔、君和田 郁弥(balubo)
執筆・編集:君和田 郁弥(balubo)
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