この記事のポイント
- 過去の知識データのみで訓練した「レトロLLM」による科学的再発見の実験が進められている
- AIは物理現象の模倣は可能だが、背後にある普遍的な法則を導く「仮説形成」が苦手である
- データが極めて少ない状況から新たな世界モデルを打ち立てる思考の飛躍にはまだ遠い
- 次世代の科学AIには、単なる予測精度だけでなく、自律的な問いの設定や数学的空間の理解が求められる
過去のデータへ遡る「歴史AI」の挑戦とその難しさ
1915年、アルバート・アインシュタインが発表した一般相対性理論は、人類の時空や重力に対する認識を根底から覆しました。それから1世紀以上が経過した現在、人工知能(AI)を用いたある思想実験が注目を集めています。
今年2月、インドのニューデリーで開催されたAIサミットにおいて、Google DeepMindの共同創業者であるデミス・ハサビス氏は、知識のカットオフ(締め切り)を1911年に設定し、それまでに人類が蓄積した知識で大規模言語モデル(LLM)を訓練することで、一般相対性理論を再発見できるかどうかを検証するという構想を提案しました。ハサビス氏は、これが汎用人工知能(AGI)の能力を評価する試金石になると考えています。
英科学誌『Nature』の報道によると、今年に入り複数の研究チームが「歴史AI」や「レトロLLM」の構築に着手しています。訓練データを過去の特定時点までに限定し、のちに登場した科学的思考を再発見できるかを試みています。しかし、現時点での検証結果は、AIが「アインシュタイン級」の科学的ブレイクスルーを実現するには、まだ大きな隔たりがあることを示しています。
独立系AI研究者のマイケル・ヘラ氏は、「Machina Mirabilis」と名付けた言語モデルを開発し、1900年以前のデータのみを用いて量子力学、特殊相対性理論、一般相対性理論を導出させようと試みました。光電効果など当時すでに観測されていた物理現象や、一般相対性理論の着想源となった「エレベーターの思考実験」を入力したところ、モデルは光電効果に対して光が「互いに独立した多数のパルスに分解される」と回答し、光量子仮説に近い表現を示す場面もありました。
しかし、そうした閃きが発展することはありませんでした。多くの場合、モデルはもっともらしい物理用語を並べるだけで、その本質を理解していませんでした。物理現象間の本質的な関係性を理解したわけではなく、歴史的な文献の表現を模倣しているに過ぎなかったのです。
また、独立系コンピュータ科学者のニック・レヴィン氏らのチームは、1930年以前の知識に限定したモデルを訓練しました。しかし、歴史資料の日付の不正確さやデジタル化に伴うノイズにより、本来知らないはずの1950年代の問いに正しく回答してしまうデータ漏洩の課題にも直面しました。
AIの弱点:少数データからの「飛躍的な推論」と問いの選別
今年1月、Google DeepMindの研究者トム・ザハヴィ氏は論文『LLMは跳躍しない』の中で、現在のLLMはアインシュタインのような推論の跳躍を成し遂げられないと指摘しました。科学における重大な進歩は、大量のデータから一般則を帰納することではなく、具体的な現象から出発して未知の解釈を提示する「仮説形成推論(Abduction)」によってもたらされることが多いためです。
科学哲学者トーマス・クーンが提唱した「パラダイム転換」のような想像力の飛躍は、データが極めて少ない状況や、既存の理論と矛盾する異常な現象から生じます。科学者は説明が困難な問題に直面した際、わずかなデータから背後にある基本法則を推論し、「世界モデル」を構築しようとします。
例えば、17世紀の天文学者ヨハネス・ケプラーによる惑星運動の観測結果をもとに、アイザック・ニュートンは万有引力の法則と古典力学体系を打ち立てました。ニュートンはデータから単に答えを算出したのではなく、どの現象を解明すべきかを判断し、これまでに存在しなかった理論の枠組みを提示したのです。マックス・プランクも同様に、黒体放射の公式が実験結果とわずかに合致しない点を誤差として片付けず、追究を続けた結果、エネルギーの量子化という概念に辿り着きました。
これこそが現在のAIの弱点です。現在のモデルは、膨大なデータ内の相関関係を学習し、既知の事例に基づいて未知の問いに対し統計的に最も可能性の高い答えを出力します。十分なデータが存在する領域では強力な予測ツールとなりますが、限られたデータから普遍的な法則を推論することは困難です。
米マサチューセッツ工科大学(MIT)のコンピュータ科学者センディル・マライナタン氏らの実験では、ニュートン力学に従う複数の仮想惑星システムをAIモデルに提示し、万有引力の法則を導き出せるかを検証しました。その結果、モデルは学習こそしたものの、惑星システムごとに異なる誤った引力法則を生成してしまい、普遍的な法則を見出すことはできませんでした。AIは規則性を見出すことには長けていますが、「どの問題をとことん追究すべきか」を判断する能力はまだ不十分です。
次世代の科学ブレイクスルーに必要なAIの姿
今年5月、AIが数学者ポール・エルデシュによる80年来の予想を覆す成果を上げました。マライナタン氏はこの成果を「真の概念的進歩」と評価しています。AIは単なる総当たり計算ではなく、新たな数学的アプローチを取り入れて解を見出したからです。
しかし、この成果も既存の数学文献に存在するアイデアを統合したものであり、アインシュタインのように一見無関係に見える事象から突然ブレイクスルーを生み出すような飛躍とは異なります。
そのため、科学分野で真の貢献を果たすAIは、単にパラメータ規模を拡大した言語モデルにとどまらない形態が求められています。既存の人類の知識、現実世界のデータ、そして「数学的空間」を同時に理解し、数学的対象を操作できる能力が必要です。さらに、システムの評価基準も予測の正確さだけでなく、理論の単純さや説明可能な範囲の広さなどを考慮する必要があります。
現在、一部の研究チームでは、AIが実験の選択と計画を立て、ロボットが実験を実行し、その結果から新たな仮説を立てる「自律型科学研究システム」の開発が進められています。
アインシュタインはかつて、「大切なのは、問い続けることをやめないことだ。好奇心にはそれ自体の存在理由がある」と語りました。現代のAIにとって、答えを見つけることは難しくないかもしれません。しかし、真に困難なのは、答えがまだ存在しない段階で「追究すべき価値のある問い」を自ら見つけ出すことなのです。
出典: 元記事を読む
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