#01【岡田健一】勉強より外遊びに夢中だった少年が、研究の道を志した理由

SEMICON IS MY LIFE
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Portrait of a man beside a slide reading 'Silicon is my life' with Japanese subtitle and '#01'. Informs that this is a speaker slide shown on a conference/poster layout.

世界を動かす半導体産業。その最前線を牽引してきたトップランナーたちは、どんな選択と決断を重ねてきたのか──。知られざる半生に迫る連載企画、「Silicon is my life」。

今回話を聞いたのは、CMOS(汎用的に使われる半導体技術)によるミリ波無線通信回路の研究で世界をリードする、東京科学大学教授の岡田健一氏だ。「半導体のオリンピック」と称される国際会議ISSCCに毎年のように論文を発表し、単一の研究室として世界屈指の採択数を誇る。

「従来の常識では無理」と言われたミリ波の世界に挑み、8年間に及ぶ長く苦しい「低空飛行」の時期を経て、道を切り拓いた研究者。その原点と仕事の流儀、そして次世代へのメッセージに迫る。(全4回)

(プロフィール)
東京科学大学 工学院 電気電子系 教授
岡田健一
1975年兵庫県生まれ。1998年京都大学工学部電子工学科卒業、2003年京都大学大学院情報学研究科にて博士(情報学)を取得。同年、東京工業大学精密工学研究所の助手に着任し、2007年准教授、2019年教授。2024年10月の大学統合に伴い、現在は東京科学大学工学院電気電子系教授。CMOSを用いたミリ波・テラヘルツ無線通信回路の研究で世界をリードし、IEEE国際固体素子回路会議(ISSCC)やIEEE Journal of Solid-State Circuits(JSSC)に毎年連続して論文を発表。2023年にIEEE Fellow。ドコモ・モバイル・サイエンス賞、文部科学大臣表彰科学技術賞など、国内外の受賞は50件を超える。

◾️勉強より、外遊びに夢中だった少年時代

はじめまして。東京科学大学で、スマートフォンやパソコンなどにも使われている「シリコンCMOS」を用いて、「ミリ波」と呼ばれる超高速な無線通信回路を作る研究をしている、岡田健一です。僕は2003年に東京工業大学(現在の東京科学大学)の助手に着任し、そこから20年以上にわたって集積回路の設計に取り組んできました。

ざっくり言うと、ずっと大学(アカデミア)に身を置きながらも、企業の方々に厳しく揉まれながら、泥臭く共同研究を重ねてきたような経歴です。

Close-up of a blue printed circuit board densely populated with chips, resistors, capacitors, and connectors.

現在はこうして半導体の最前線にどっぷり浸かっていますが、振り返ってみると、子どもの頃は決して「勉強熱心な優等生」だったわけではありませんでした。

生まれは神戸ですが、小学校から高校まではずっと兵庫県の明石で過ごしました。海が近く、田んぼやため池がたくさんあるような場所で、大学に入って初めて「自分はずいぶん、のどかな環境で育ったんだな」と気づいたくらいです。

今の時代とは違って、当時は家にパソコンがある家庭なんてほとんどありません。スマートフォンはおろか、ゲーム機さえ簡単には手に入らない時代でした。

だから、遊びといえばもっぱら外。ただ、何かに一度没頭すると、根気よくずっとやり続ける粘り強さだけはありました。

そんな「外遊びに夢中だった僕」が、なぜ半導体の研究者になったのか。その原点は、学校の勉強ではなく、家に突然やってきた「一台の機械」との出会いにありました。

◾️10歳で出会った、一台のパソコン

小学5年生だった1985年、家に突然パソコンがやってきました。

電器屋を営んでいた叔父から、お下がりをもらったんです。日立の「ベーシックマスターレベル3」※1という機種で、当時はよく分かっていなかったものの、中にモトローラ社のCPU(パソコンの頭脳にあたる部品)が入っていたことまで、今でもよく覚えています。

※1 ベーシックマスターレベル3:日立製作所が1980年代前半に販売したパーソナルコンピュータ。家庭にパソコンが普及する以前の初期の機種にあたる。

当時はファミコンが出始めた時期で、普通の家庭にゲーム機などそうそう買ってもらえる時代ではありません。だから「これがあればゲームができるかも!」と飛びつきました。

当時の雑誌にはゲームのプログラムがびっしりと印刷されていて、それを一字一句、自分の手で打ち込んでいくんです。でも、ひたすら打ち込んでいざ実行すると、たいてい間違っていてエラーが出ます。泣きそうになりながら、どこを打ち間違えたのかを一行ずつ探していく。そしてそれを「ああ、ここだ!」と気づいて直す。

今思えば、あれが僕にとって最初のトライアンドエラーの経験でした。バグを直しながら、間接的にものの仕組みを学んでいたのだと思います。

そのうち、自分でもゼロからオリジナルのゲームを作るようになっていきました。何より楽しかったのは、自分で作ったものが目の前で動くことでした。できあがったゲームは、すぐ下の弟に遊ばせます。手を動かせば何かが生まれて、それを面白がってくれる人がそばにいる。このワクワクした感覚こそが、僕のものづくりの原点になりました。

◾️壊れたテレビの部品で作った「コードレス電話」

ところが、僕が作ったゲームで遊んでいた弟のほうが、やがてすっかりパソコンにのめり込んでしまい、結局は本体ごと取られてしまいました(笑)。でも、その頃には僕の興味はすでに、画面の中ではなく「別のものづくり」へと向かっていたんです。

中学に入ると、技術・家庭科の教科書にラジオやアンプの回路図が載っているのが面白くて、実際に動かしてみたくなりました。とりわけ作りたかったのが、コードレス電話です。当時はまだ携帯電話などない時代。家にある電話機の線を、なんとか無線にできないかと考えました。

部品は、家に置いてあった壊れたテレビからむしり取って調達しました。段ボールに穴を開け、トランジスタを差し込み、配線をはんだ付けしていく。土台が段ボールなので熱で当然焦げるんですが、それでも無理やり組み上げていました。

不思議なのは、家にいつも「カバーが外された壊れたテレビ」が転がっていたことです。父が意図して置いていたのか、今となってはわかりません。

ただ、僕は昔から結構あまのじゃくな性格で、「これをやりなさい」と言われるとかえってやらなくなる。父はそれを見抜いていて、あえて何も言わず、手を伸ばせば勝手に何かが作れる環境だけを用意してくれていたのかもしれません。真相はわかりませんが、本当にありがたい環境でした。

◾️この人のようになりたい。恩師の背中を追って選んだ研究の道

高校は地元の明石西高校に進みましたが、相変わらず勉強には身が入らず、友達と遊んでばかり。大学を選ぶときも、「どうしてもこれを学びたい」という強い志があったわけではありません。

転機は、同級生の一言でした。とても優秀な子がいて「京都大学を受ける」と言うんです。僕は近くの神戸大学あたりでいいかなと思っていたのですが、その言葉に感化されて、自分も京大を受けてみることにしました。

学科は情報か電気かで迷いましたが、ハードウェアを作るのもソフトを考えるのも両方好きだったので、電気系の学科を選びました。当時NHKで放送されていた『電子立国 日本の自叙伝』※2 の影響もあり、「科学技術ってやっぱりいいよね」という空気が社会全体にあったことも背中を押してくれた気がします。

※2 電子立国 日本の自叙伝:1991年にNHKが放送した、日本の半導体産業の発展をたどるドキュメンタリー番組。

ところが、いざ入学してみると、僕はどちらかといえば落ちこぼれの部類でした。授業にもあまり出ず、自分は天才だと思っていたのは勘違いだったと気づかされました。それでも「大学の教員になりたい」と思うようになったのは、学部2、3年の頃です。当時、半年に一度ほど教員と一対一で話せるアドバイザー制度があり、そこで出会ったのが、後に指導教員となる小野寺秀俊先生※3でした。

※3 小野寺秀俊:京都大学名誉教授。半導体集積回路設計や設計自動化の分野で世界的に活躍し、岡田氏が研究に目覚めるきっかけを作った恩師。

実は最初、先生がどんな研究をしている方なのかさえ全く知らなかったんです。でも、話をしていくうちに「世の中にこんなに頭のいい人がいるのか」とすっかり打ちのめされました。と同時に、強く憧れました。

あの先生のような仕事がしたい。その思いが、研究者という道へ僕を導いてくれたのです。とはいえ、相変わらず目立った研究業績もなく、ギリギリで博士課程を修了したような状態でした。

それでも2003年、縁あって東京工業大学(現・東京科学大学)で研究者としての第一歩を踏み出すことになります。学会で訪れた軽井沢で、後に学長を務められる益一哉先生※4のお部屋を訪ね、最後はほとんどフィーリングで進路を決めました。ただ、その先に待っていたのは、8年ものあいだ世界の扉が開かない、長く苦しい時間だったのです。

※4 益一哉:前・東京工業大学(現・東京科学大学)学長。半導体工学分野の権威であり、岡田氏が東工大に助手として着任した当時の研究室主宰者。

>>第2回に続きます。

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取材:関真希
執筆・編集:君和田 郁弥(balubo)
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