
世界を動かす半導体産業。その最前線を牽引してきたトップランナーたちは、どんな選択と決断を重ねてきたのか──。知られざる半生に迫る連載企画、「Silicon is my life」。
今回話を聞いたのは、三菱電機で先端DRAMの設計に携わり、後にルネサス エレクトロニクスの初代CTOを務めた日髙秀人氏だ。現在は文部科学省「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業」のプログラムディレクターとして、2035〜2040年の半導体を見据えた10年規模の国家プロジェクトの舵取りを担っている。
40年以上にわたり、業界の第一線に立ち続けてきた日髙氏。最終回は、退職前後に飛び込んだ2つの国家プロジェクト、半導体産業でいま起きている「3つの逆転」、そして日本が直面する本当の危機と次世代へのメッセージに迫る。(全4回)
文部科学省「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業」プログラムディレクタ / 元ルネサス エレクトロニクス CTO・フェロー
日髙秀人
1983年、東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了後、三菱電機株式会社に入社。LSI研究所で先端DRAMの研究開発に従事し、6世代にわたる製品化を手がける。1987年から88年にかけてMITメディアラボの客員研究員。三菱電機在籍の最終年にマイコン事業部へ移り、2003年発足のルネサス テクノロジではマイコン用混載フラッシュメモリの開発を率いて、世界トップシェア製品の技術基盤を築いた。北伊丹事業所長を経て、2015年にルネサス エレクトロニクス初代CTOに就任。同社フェローを務め、2024年末に退職した。ISSCC 2012 プログラムチェア、2017年 IEEE Fellow。現在は文部科学省「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業」プログラムディレクター、JST「次世代エッジAI半導体研究開発事業」アドバイザーなどを務める。工学博士。
「来る者は拒まず」で飛び込んだ産学官連携。次世代を育てる「X-nics」と「エッジAI」
2024年の年末、41年間歩んだ半導体メーカーの現場を離れ、ルネサス エレクトロニクスを退職しました。本音を言えば、この後は悠々自適に過ごすつもりだったんです。
ところが、ありがたいことに次々とお声がけをいただきました。「来る者は拒まず」が主義なものですから、引き受けるうちに、あっという間に6つも7つも仕事ができてしまったのです。
国のプロジェクトや大学の運営委員・非常勤講師、外資系投資会社のアドバイザーなど、実感するのは現役時代よりもむしろ守備範囲が広がったということです。いまや「産学官連携」が専門になり、企業時代には見えなかった「官」の実務や大学の悩みに直接触れるようになりました。
日本の半導体の未来は皆さんの大きな関心事ですが、国がどんな手を打っているかはあまり知られていません。北海道や九州の新工場などは話題になっても、その裏で産業の裾野を広げ、人材を育てる地道な取り組みは見えにくいものです。これらに関して、私が当事者として語れるのが、文部科学省が主導する2つの国家プロジェクトです。
一つは、「次世代X-nics半導体創生拠点形成事業※1」です。私はプログラムディレクターとして、文科省としては過去最大の予算規模で東京大学、東京科学大学、東北大学の3カ所に研究拠点を築く10年計画を牽引しています。
※1 次世代X-nics半導体創生拠点形成事業:文部科学省が2022年度から10年計画で進める半導体研究拠点形成事業。2035〜2040年頃の社会で求められる半導体集積回路の創生を目標に掲げる。
大学に最先端プロセスの製造設備は持てないため、最先端世代の集積回路研究は非常に難しいです。そこで3拠点とも、視点の違う次世代のインテグレーション(集積化)の概念を掲げて、実証研究活動をしています。これらを通して、研究拠点の形成と同時に、次世代の研究者を育てる場を志向しています。
もう一つが、JSTの「次世代エッジAI半導体研究開発事業※2」です。2026年春から研究活動が本格的に動き始め、私はアドバイザーとして参画しています。
※2 X 次世代エッジAI半導体研究開発事業:JSTが進める半導体研究開発事業。クラウド側の処理・消費電力の増大を背景に、機器の近くで高度なAI処理を可能にする、超低消費電力な次世代エッジAI半導体の実現を目指す。
このプロジェクトの最大の狙いは、AI処理の主体を合理的に「クラウド」から「エッジ※3」へ移すことです。生成AIの爆発的な普及により、クラウドの計算負荷は膨らむ一方であり、このままではいずれ電力供給や通信トラフィックがパンクしてしまいます。だからこそ、処理を端末(エッジ)側へ分散させる技術の確立が急務となっているのです。
※3 エッジ:クラウド上の大規模なデータセンターではなく、機器やその近くで処理を行う方式。通信の遅延や消費電力を抑えられる一方、限られた性能・規模でAIを動かす工夫が要る。
長くマイコンメーカーにいた人間から見れば、エッジはもともと日本企業が得意としてきた領域です。これまで積み上げたエッジコンピューティングに、AIをどう組み合わせるか。社会の隅々まで製品を行き渡らせるエッジ領域において、日本が活躍できる余地は極めて大きいと感じています。
ムーアの法則の減速とAI需要の爆発。半導体業界に起きた「3つの逆転」
こうして産学官の三方から業界を眺めるようになって、強く感じていることがあります。半導体の技術と産業に、これまで思ってもみなかった転換点が現れている。先日、ある学会の招待講演で、私は半導体に起きた「3つの逆転」という話をしましたので紹介します。
一点目は、「ムーアの法則※4」をめぐる逆転です。
※4 ムーアの法則:半導体に集積されるトランジスタの数が約2年で倍増するという経験則。半世紀にわたり産業の技術ロードマップの基準となってきたが、近年は微細化のペースが鈍化している。
半導体デバイスの微細化が減速しているのはご存じの通りですが、皮肉なことに、減速し始めたのと同時期にAI需要が爆発しました。つまり、技術の進歩が減速しているのに、市場からは「もっと進化しろ」と強烈な要求が来ている。私の知る限り、半導体産業でこのような逆転が起きたことは過去にありません。
これまでは必ず「技術のロードマップ」が先にあり、できた技術を市場へ展開していました。我々の常識でも、技術的な限界よりもはるか手前に、開発費や製造費の高騰といった経済的な限界が来るはずだった。ところが、技術開発が市場拡大を追いかけるという逆転現象が起きたのです。このために、三次元実装やドメイン専用設計など、今までとは異なる方向の集積化が必要になっています。
二点目は、「人間とAIの能力の逆転」についてです。
あらゆる分野で逆転が起きるのか、あるいは決して起こらない領域があるのか。まだ誰にも分からない以上、いまは「実験社会」だと捉えるべきでしょう。人間固有の価値がどこに残るのかは、実際にやってみなければ分かりません。
三点目は、このAIスーパーサイクルを支える「投資構造の逆転」です。
巨大な資本家と労働者が対峙していた時代とは異なり、現代ではマイクロファイナンス ※5 やクラウドファンディングのように、誰もが投資家になり得ると同時に、投資される側にもなり得ます。
※5 マイクロファイナンス:主に発展途上国の貧困層を対象に、無担保で少額の融資や貯蓄、保険などの金融サービスを提供する仕組み。
さらに半導体分野では、製品分野によっては圧倒的な「売り手市場」という逆転が起きています。世界中に投資マネーが溢れているのに、有望な投資先のほうが足りない。だからこそ、投資先=売り手が投資元=買い手を選択するようなことも現実化し、昨今の半導体企業の株価の高騰現象も起こるわけです。
開発に携わる方々には、ぜひこの状況を利用してほしい。つまり、投資を受ける側として魅力を高めてほしいのです。
私はCTO時代、技術経営の要諦として「技術の俯瞰」「コア技術の確立」「技術のガバナンスと進化」の3つを挙げていました。これらはちょうど、連載の第3回で述べた、「探索」「深化」「進化」の現われと言えるわけですが、投資会社のアドバイザーになって気づいたのは、彼らが企業評価の中で意外なほど重視するのは、最後の「ガバナンス」だということです。
技術の俯瞰やコア技術は、実はほとんどがその会社固有のものではありません。しかし、ガバナンスのあり方こそが、その会社にしかない本質的な特徴であり魅力なのです。この主旨で、近年、企業の各種開示基準が財務系から非財務系に拡大・進化していることも注視すべきでしょう。
生産シェア復調の裏で進む、深刻な「国内需要(一次需要)」消失の危機
投資を呼び込めるかどうか以前に、日本の半導体産業には見落とされている問題があります。
皆さんの努力もあって、日本の生産シェアはここへ来て盛り返しつつあります。低いと言われがちですが、もともと世界シェア10%以上は保たれてきましたし、日本企業のブランド製品のシェアも実のところ落ちてはいません。
ところが一つだけ、はっきりと世界シェアが落ちている指標があります。国内の需要シェアです。予想では、今年(2026年)は世界の3%台に下がるでしょう。
このままでは日本は、半導体を「生産する国」であり「事業を営む国」でもあるのに、肝心の「需要がない国」になってしまう。正確に言えば、チップを最初に機器やシステムに組み込む「一次需要※6」が消えつつあるのです。
※6 一次需要:半導体チップを最初に組み込んで機器やシステムをつくる産業の需要。ここが海外へ移ると、生産や事業のシェアが保たれていても、国内から半導体を「使う現場」がなくなる。
チップを最初に使う一次ユーザーのほとんどは産業界ですが、その現場が海外へ出てしまいました。海外で作られたボードやサブシステムを輸入して最終製品に仕立てる企業は国内に残っていても、彼らはもう半導体の一次ユーザーではなくなっているのです。
私は、この改善には教育が寄与する余地があると考えています。大学の先生と教育についてお話しするとき、私がよく出す話題があります。「プロセスと共に設計の教育が重要だ」とよく言われますが、正確には「なぜ製品を作るのか、製品を作るとは何なのか」を教えて実践すること、これらを通して戦略を形成することが本質であって、プロセスも設計もそのための実現手段である、ということです。 これは、How (プロセス) よりWhat (設計・製品)、さらにWhatよりWhy (戦略)を、ということでもあります。
また、半導体教育が盛んになってきたいまだからこそ、是非、半導体の「使い方」を教えてほしい。どんな使い道があり、使うと何が御利益なのか。「使う側」にとっては、それを知らないことには何も始まらないのですから。これらを通じて、進歩の著しい半導体製品・技術を戦略的に活用する姿勢を持つことが王道だと思います。
ホタルの明滅とAIの共通点。次世代へ託す「量質転化」の視点
最後に、これから半導体やAIの世界を担う次世代の方々へ、お伝えしたいことがあります。
自然界には、面白い現象があります。一匹一匹の光は弱いのに、森のホタルが一斉に同期して明滅する現象です。セミにも鳴き声の同期(台湾で聴きました)や十数年にわたるライフサイクルの同期(北米で顕著です)があります。これらは、天敵を威嚇・回避するためとも言われますが、個の集まりが全体として「意味のあるメッセージ」を発しているわけです。ぶつからずに高速で動き回る魚の群れのみごとな協調動作も同様です。
私が学生時代から興味を持ち、惹かれてきたのは、こうした「量が質を生む(量質転化)」という現象でした。
実は、この「量質転化」の典型例こそが集積回路であり、現在世界を席巻しているAIなのです。ディープラーニングも大規模言語モデルも、個々の要素は驚くほど単純ですが、それらが膨大な数集まることで、全く次元の異なる力を発揮し始めます。また、生物に特有の突然変異による適応・進化が、多数の生命体の中の少数のDNAコピーミスによることも、量から来る質の進化として同様と見なせるでしょう。
連載の第1回でお話しした、同調回路もないのに鳴ったあの「鉱石ラジオ」への感動も、根っこは同じでした。小さなものが持つ力と、それが無数に連なったときに生まれる力。少年時代に感じたあの驚きが、私の半導体人生をずっと支えています。
だからこそ、これから業界を牽引する若い方々には、次の3つを意識してほしいのです。
一つ目は、世の中がどれほど激変しても、「自分個人のコアとなる部分は変わらない」と知ること。第3回でお話しした「π型の人間」の、「探索」と「深化」という2本の脚をしっかり鍛え続けることです。
二つ目は、その揺るぎないコアを持ったうえで、「いまの社会の激変状況を能動的に使い倒す」こと。地球環境をはじめとする大きな問題を解決して人類を進化させるために、皆さんの力を存分に発揮してください。
個々の力とコミュニケーションによる力の発揮、ということに尽きますが、もう一つ、三つ目に、いまは本当に、これらを生かす環境に恵まれた時代だと思います。正直に言えば、私たちの若い頃にはこれほど多くのチャンスはありませんでした。半導体にしろAIにしろ、これからの世代にはかつてないほどの可能性があふれています。
私自身は、多様な世界を経験させてくれたこれまでの環境に、ただ感謝するばかりです。これからは、得られた知見や教訓を社会へお返ししていく。それが私の、第二の人生の役割だと思っています。
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取材:榎並⼤輔、野木村 修
執筆・編集:君和田 郁弥(balubo)
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