半導体工場で装置が止まる。「これは装置の問題だ」「いや、ユーティリティ(付帯設備)のせいだ」――現場では、そんな責任の押し付け合いが起きることがある。だが、顧客が本当に望んでいるのはたった一つ。「どっちのせいでもいいから、ちゃんと動かしてくれ」。この一言に応えるために、設備工事から装置、メンテナンスまでを「一気通貫」で引き受ける会社がある。兵庫県神戸市に本社を置く株式会社ジー・キューブだ。工業ガスメーカーのセールスエンジニアだった西村賢治社長が2005年に創業し、いまや半導体からメディカルまでを手掛けるグループへと育て上げた。前編では、その原点と、幾多の荒波を越えてきた歩みをたどる。
大企業の「限界」から、飛び出した
西村社長のキャリアは、工業ガスメーカーのセールスエンジニアから始まった。担当は半導体セクション。半導体の工場を相手に、ガスや関連設備を提案する日々だった。
だが、大企業の一員として動くなかで、次第にある限界を感じるようになる。何かをやりたいと思っても、お客様の課題に対して、思うように応えきれないことがある――。「自分で起業した方が、もっとやりやすいんじゃないか」。そう考えたのが、すべての出発点だった。2005年、ジー・キューブが産声を上げる。
創業当初のビジネスは、出自を色濃く映していた。大工場では、さまざまな特殊材料やガスが使われる。ガス会社出身という強みを生かし、ガスの供給設備、その配管工事、付帯設備に関するメンテナンス――。そうしたファシリティ(生産を支える基盤設備)まわりのサービスからスタートした。
「どっちのせいでもいい」に応える ── 一気通貫という答え
メンテナンスの比率を上げ、事業を安定させていく。そんな折、現場では当然のようにトラブルが起こる。そして、そのたびに厄介な問題が持ち上がった。
「ここは装置の問題だ」「いや、ここはユーティリティの問題だ」。責任の所在をめぐる、どっちつかずの議論が噴出する。だが、お客様にとって一番大事なのは、稼働率を上げること。ただ、それだけだ。
「どっちのせいでもいいから、ちゃんとしてくれ――お客様の本音は、もともとそこなんです」
この本音に応え、問題をクリアにしようと思えば、答えは一つしかなかった。設備も、装置も、メンテナンスも、すべてを自分たちで引き受ける「一気通貫」でやるしかない。お客様に代わって管理・監督から事前に手を打つ。目線は、どこまでもお客様側に置く。こうして2008年ごろを契機に、ジー・キューブは一気通貫の体制へと舵を切った。サードパーティー(メーカー純正以外の保守・部品供給事業者)化がまだ一般的でなかった時代の、先行した一手だった。
唯一の赤字が教えた、「経営者の責任」
もっとも、その歩みは平坦ではなかった。半導体業界は、波の激しい世界だ。西村社長は、いくつかの厳しかった局面を率直に振り返る。
創業から2、3年、2007年ごろまでは、大きな仕事はなくとも、なんとなく仕事が入ってくる時期だった。2006〜07年には、神戸のある液晶工場を中国・深センへ移設する案件が舞い込む。国内での撤去作業から始まり、そのまま現地へ。中国で講習や仕組みづくりまで手掛けた経験は、後に大きな財産となった。
だが、来た仕事をこなすだけで、先のことをなかなか考えられずにいた。何の準備もないまま――そこへ、2008年のリーマンショックが襲う。デバイスメーカーが必死で財布を絞り込むなか、状況は一気に厳しくなった。
この年、ジー・キューブは創業以来唯一の赤字を計上する。売上3億円ほどに対し、5,000万円ほどの赤字。「あの時が、一番きつかったですね」。
苦境に陥ったからといって、すぐに金を貸してくれる相手がいるわけではない。だが、この苦境のなかで西村社長はあることに気づく。リーマンショックは自社だけを襲ったわけではない。同じ環境でも黒字の会社はあったはずだ。ならば――結局は、経営者の責任なのだ、と。この気づきが、次のフェーズへの原動力になった。
プレイヤーが増えれば、単価は落ちる ── 中古装置への一手
2009年から2010年ごろにかけて、西村社長はサードパーティー化を進めるべく、各所を回り、お客様に自社の力を評価してもらった。これがうまくいく。ところが、しばらくすると同じ領域にプレイヤーが増え、上がっていた単価がまた下がっていく。半導体業界に繰り返し訪れる、この構造。次の一手として西村社長が選んだのが、中古装置の取り扱いだった。
ファシリティ出身の西村社長にとって、生産装置そのものは畑違いの領域である。だが、ここでも支えてくれたのはデバイスメーカーだった。自分たちのコストダウンにつながるからこそ、「教えるから」と、見るべきポイントも、扱ってはいけない装置も、惜しみなく伝授してくれる。プロに教わることで、西村社長は瞬く間にセミプロの域へと近づいていった。
事業の立ち上がりは早く、手掛けてから半年ほどでマネタイズにこぎ着けた。結局のところ、いちばん重要なのは「お客様がいるかどうか」だ。需要さえあれば、事業はすぐに動き出す。販売先は海外が中心。国内では当時、工場のクローズも相次いでおり、閉鎖される工場から装置を買い付けることも多かった。逆境のなかにこそ、次のビジネスの種があった。
神戸に本社を構えた、もう一つの理由
ジー・キューブが本社を置く神戸は、国内でも有数の医療産業都市として知られる。この立地選びには、リーマンショックの教訓が生きている。
一つの事業だけに頼っていては、危うい――。あの赤字を経て、西村社長は複数の事業体を持つ必要性を痛感していた。そこで視界に入ってきたのが、ヘルスケアをはじめとする医療系の分野だ。新しい事業も見据えたうえで、その集積地である神戸に本社を構えた。(後に、西村社長の出身地であり人も集まりやすい姫路にも拠点を広げていく。)半導体の会社が医療へと踏み出す布石は、この頃すでに打たれていた。
「うちは無理です」と、言わない
数々の荒波を越えてきたジー・キューブ。競合他社と比べたときの強みはどこにあるのか。西村社長の答えは、拍子抜けするほどシンプルだった。「真面目なところ、くらいしかないかもしれませんね」。だが、その言葉には確かな芯がある。
顧客の立場に立って物事を考え、挑戦できるフィールドを持っていること。困りごとを前にして「うちは無理です」と突き放すのではなく、「一度、我々で考えてみよう」と受け止める。どうすればできるのか、あの手この手を出していく――。そこに、他社との違いがあるのかもしれない、と西村社長は語る。
そして、その根っこにあるのが「自分ごとにする」という発想だ。お客様の悩みを、自分自身のものとして捉える。特別なルールを決めているわけではない。ただ、この姿勢の積み重ねが、他では代えがたい信頼を築いてきた。後編では、この「自分ごと」の文化がどう組織に根づき、半導体からメディカルへの越境、そして未来へとつながっていくのかを聞く。
後編|半導体で培った「管理の思想」が、人工骨をつくる
「半導体だろうがメディカルだろうが、本質は変わらない」――西村社長の哲学は、京都大学発ベンチャーの人工骨づくりへとつながっていく。組織を貫く「オーナーであれ、プレイヤーであれ」の文化、循環型の教育構想、そして描く未来。後編でお届けする。